人間関係の中で心が閉じそうなとき
いつも身構えていたり、心を閉ざすことが当たり前のような状態だった私が、新たな職場で「心を開く」ことにチャレンジしています。気づく度に心が閉じている自分に、くじけそうになることもありますが、そんな必要は全然ないのですね。それは、ただ慣れていないだけだから、です。「在り方」を磨く、今日この頃。
いつも身構えていたり、心を閉ざすことが当たり前のような状態だった私が、新たな職場で「心を開く」ことにチャレンジしています。気づく度に心が閉じている自分に、くじけそうになることもありますが、そんな必要は全然ないのですね。それは、ただ慣れていないだけだから、です。「在り方」を磨く、今日この頃。
過去の自分や、出来事について、「それも私の精一杯だったのだ。」と、そう素直に思えるでしょうか。昔、私はこの言葉を口に出した途端に涙がボロボロと流れました。過去の自分を受け容れられない、抵抗の涙でした。これが、自己受容の第一歩だったように思います。その一歩一歩が作る道は、自分だけのかけがえのない道です。
どうしても!なんとしてでも!と焦ったり執着してしまっているときほど、なかなか現実はスムーズに進んでくれないもの。そんなとき、焦っている自分、執着している自分に気づくと、そこにスペースが生まれて、流れが変わっていくのです。
人にどう思われているか、というぐるぐる思考を見つけたら、そこは癒やしと手放しの入口。ぐるぐる思考でふたをしている感情に、静かに問いかけてみると、癒やされていない、でも癒やされる準備の出来た傷が、顔を出してくれるでしょう。
標高の高いマラソンコースでも、季節の進んだ美しい木々から気持ちのよいエネルギーをいただきながら、ハーフマラソンを自己ベストで完走しました。透き通る空気や美しい紅葉のグラデーションは、自然の贈り物ですね。